“読書”と“資格取得(今は司法書士)”と“音楽鑑賞”のメモ

 

Planned Happenstance 〈偶然〉=〈必然〉

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Posted on 23:40:05 «Edit»
2006
09/10
Sun

Category:読書〔人文科学〕

信じるということ 


信じるということ
4782801475スラヴォイ ジジェク Slavoj Zizek 松浦 俊輔

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starたとえば、電脳現象下における〈脱中心化した主体〉がなお主体的に何かを選択するというと

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ジジェク大好き。映画「マトリクス」を取り上げているところがポイント高い。ぱらぱらめくって、どこから読み始めても面白い。こんな哲学書ってなかなかない。

印象に残る文章はいっぱいある。たとえばこれ。

・・・自らに全ての〈罪〉を引き受け、自らの死を通じてそれを購うことによって、キリストは人類の救済のための道を開く──それでもその死によって、人々は直接には救われなくなり、救済の、過剰の除去の可能性を与えられるのだ。この違いは決定的だ。キリストはわれわれのために働くのではない。負債をちゃらにしてくれるのではない。単に「チャンスを与える」だけだ──彼はその死をもって、われわれの自由と責任を説くのである。すなわち彼は、われわれが自らを「信仰へのジャンプ」を通じて、すなわち「キリストにおいて生きる」ことを選ぶことによって、自らを救う可能性を開く「だけ」である──キリストにならって、われわれはキリストの、自由に〈生命〉の過剰を引き受ける身振りを反復するのであって、それを〈他者〉の何かの姿に投影する/転嫁するのではない(「だけ」をかっこで括ったのは、キルケゴールに明らかなように、自由の定義は可能性が現実よりも上だということだからである。自らを救うチャンスを与えることによって、キリストは直接にわれわれを救うとした場合よりも、無限に多くのことをしている)。


現実の救済を選ぶか、「可能性」の自由を選ぶか。好みの問題かな。今の私は「同情するなら金をくれ」だな。「現実の救済」の手間や費用をごまかすための、「チャンスを与える」とするまやかしの言葉が、世の中にはなんと多いこと。。。
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