“読書”と“資格取得(今は司法書士)”と“音楽鑑賞”のメモ

 

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Posted on 11:15:11 «Edit»
2007
09/02
Sun

Category:読書〔人文科学〕

生と権力の哲学 檜垣 立哉 


生と権力の哲学 (ちくま新書)
生と権力の哲学 (ちくま新書)檜垣 立哉


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 「日本の武装/非武装について思うこと」でも書いたが、私は社会的な判断を下すうえで「国」を単位に考えることに違和感を感じている。国民国家に対し、本書で紹介するネグリは「帝国」という概念を持ち出している。ネグリにおいて「帝国」は「国民国家として生みだされてきた近代国家の枠組みを超えた、超-国境的なシステム」として描かれる。

 帝国主義の時代においていは、戦争とは国家間のぶつかりあいであり、その合従連衡によって果たされる世界戦として展開されるものであった。だが「帝国」において、世界がハイブリッドなシステムとして結びつけられた現場では、主要な戦争の形態とは内戦とテロになる。それは、国家対国家の戦争というかたちをとらず、むしろひとつのシステムのなかでの、主導権争いになるだろう。あるいはシステムのなかでの少数者による、システムのゲリラ的な破壊という様相をとるだろう。

 戦争は、「国家対国家の戦争」ではなく、「システムのなかでの少数者による、システムのゲリラ的な破壊という様相をとる」のだ。
 さらに、ネグリは右翼的な「国家」のみならず、左翼的なエリート主義も解体する。そればかりか「個」をも。

 「帝国」が見据えるのは、国民国家が崩壊し、あらゆるナショナリティーやそれを軸にうごめく情念が消滅し、すべての個的なアイデンティティーの主張が消え去っていく、雑多な混合体としての社会の現勢化なのである。それは、民族や国民国家にもとづく伝統的なブルジョワ共同体がすでに維持できないことを肯定し、社会が機械的技術に浸透され、そのなかで新たなシステムが現出することを評価する。だからそれは、伝統的保守であることからもっとも離れた政治的スタンスであるだろう。
 しかし、同時にそれは、体制的な左翼の言説も根底的に拒絶する。「正義」やローカリティ、はたまたマイナーなアイデンティティを自己の根拠としてもちだし、「平等」と「公正」を上からの統制によって推進するエリート主義的な左翼の姿は、近代的権力の最後のあがきにほかならない。マルチチュードとは、そもそもが統制不可能な民衆である。それは、いかなる進歩的政党もメディア的媒介者も、自己の「代表」として想定することはない。
 なんだかイメージ的に、アニメ『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG』において登場する架空のテロリスト「個別の11人」の話を思い出すな。
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