“読書”と“資格取得(今は司法書士)”と“音楽鑑賞”のメモ

 

Planned Happenstance 〈偶然〉=〈必然〉

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Posted on 13:30:16 «Edit»

橘 玲さん、相変わらずわかり易いです。そして説得力がある。
この本ではあくまで訳者だけど、解説文も書いている。
これが良い!!
不道徳教育
不道徳教育ブロック.W 橘 玲

おすすめ平均
starsカチンコチンに凝り固まった差別的な脳を少しでも柔軟に楽しく開放させるために
stars驚きの内容!!!
starsファイナンスの本ではなかったので・・・
starsネタにマジレスですな
stars一般的な日本人の価値観を打ち破る

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本書は、1976年に出版された“Defending The Undefendable(擁護できないものを擁護する)”の翻訳。著者のウォルター・ブロック教授はアメリカを代表するリバタリアンの一人。訳者の橘さんがリバタリアニズムの説明をしている。

こんな表が載っている。
「功利主義」と「原理主義」、「小さな政府」と「大きな政府」の対立軸にリバタリアニズムその他の主義を位置づけている。

古典的自由主義
(レッセ・フェール)
ケインズ派
(市場介入主義)
功利主義
リバタリアン
(自由原理主義者)
リベラリスト
(人権原理主義)
原理主義
小さな政府
(無政府主義)
大きな政府
(福祉国家)

わかりやすい!! 図式化することによる単純化の弊害は免れないだろうが、このマトリクスを頭においておくと、論争に見る、感覚的に受け入れがたい政治的な主張や、相手を攻撃するための強引なラベリング行為も整理がつけやすい。
私自身の政治的立場はこれで言うと「古典的自由主義(レッセ・フェール)」に近いかな。でも多少の市場介入は重要とも考える。なんにしろ功利主義が基本。原理主義的なアプローチには抵抗がある。

レッセフェール(仏:laissez-faire)とは、フランス語で「なすに任せよ」の意。経済学で頻繁に用いられておりその場合は特に、政府が企業や個人の経済活動に干渉せず市場のはたらきに任せることを指す。(レッセフェール - Wikipedia

リバタリアニズムと保守主義との対立軸もあるようだ。リベラリズムを加えてこんな対比をさせている
リバタリズムというのは、ようするに次のような政治思想だ。
人は自由に生きるのがすばらしい。

これに対して、リバタリアニズムは若干の修正を加える。
人は自由に生きるのがすばらしい。しかし平等も大事である。

「自由主義」に対抗する思想として保守主義が挙げられるが、それとても「自由」の価値を否定するわけではない。彼らは言う。
人は自由に生きるのがすばらしい。しかし伝統も大事である。
ちょっと簡単すぎるか。でもまちがっていないだろう。根本を説明していると思う。

一番ハっとした部分。橘さんによるポストモダニズムの話。ちょっと長いが引用したい。
 はじめてリバタリアンの思想に触れたとき、正直、「なんて古くさいんだろう」と思った。一見して明らかなように、リバタリアニズムは(リベラリズムと同様に)近代的な主体、すなわち自由な個人に基礎をおいているが、それは一九八〇年代に隆盛を迎えたポストモダニズムの思想によって徹底的に批判されていたからだ。
 私はいまでも、「私」が社会的関係性の結節点にすぎず、「人間」は歴史的な創造物であると考えているのだが、その一方で、私たちの社会が幻想によって支えられていることも理解するようになった。紙幣は実体としてはただの紙切れにすぎないが、その一片の紙切れに、券面に印刷された数字と同じ価値が内在しているという共同幻想に依存しなければ、私たちが一日として生きていけないように。
 近代的な主体性の虚構性を抉り出すポストモダニズムの根源的な批判は魅力的だが、社会の変化にはなんの役にも立たず、いつしか無意味な言葉遊びに堕していった。それに対してフランス革命とアメリカ独立宣言を出自に持つ古色蒼然たるリバタリアニズムは、二〇〇年のときを経てもなお「改革」のヴィジョンを示すことができる。超近代(ポストモダン)はいつまで待っても訪れず、私たちはいまだに近代の枠組みのなかで生きており、それを「超えて」いくことはできないのだ。(本書「はじめてのリバタリアニズム」より)
 ワォ!! すっごい共感!! 私の今の、経済や歴史や法律や政治に対する興味は、同様の経緯と意味合いにおいてある。学生時代、私もまさしく“ポストモダニズム”の洗礼を受けた。「いつしか無意味な言葉遊びに堕していった」様子もそれへの苛立ちも懐かしい。でもやはり、その考え方は私の発想に染み付いている。「“私”が社会的関係性の結節点にすぎず」という言い方もしっくりくるな。
 いわゆる社会人としてまっとうに生きていくにはポストモダン的な無責任(?)や“おふざけ”は許されない、と知ることになったのは実際に社会人になってから。私自身も結局は近代的な“私”であり、そういう自覚が求められたわけだ。今となっては、思想史的には前時代的な経済学やら何やらを勉強する羽目に陥っている。何事も基本が大事っていうことか。。。

ハイエク(経済学者・思想家)も本書を「劇薬」「ショック療法」として薦めている。本書の話は、この近代社会で生きていくうえでの一つの極端な考え方と言えよう。完全には受け入れられなくとも、あえて「不道徳」といわれる領域に踏み込みこれを擁護する論に触れる経験は、日常生活でカチンコチンになった頭を柔らかくしてくれそう。

リバタリアニズム - Wikipedia

リバタリアニズム(英:libertarianism)とは、絶対的自由を主張する政治思想である。経済や社会に対する国家や政府の介入を否定し、自由放任(レッセフェール)を主張する。

基本的にリバタリアニズムが追求する自由とは、他からの制約や束縛がないことという意味での消極的自由を指している。自由権のような政府が与える積極的自由と、リバタリアニズムにおける消極的な自由とは対照的で相反する概念である。よってリベラリズム・アナキズムとは対立する。(...続く)

ノーラン・チャート - Wikipedia
2d_political_spectrum.png

ノーラン・チャートとは、アメリカのリバタリアンであるデービッド・ノーランによって広められた政治思想の概念図である。ノーランはリバタリアニズムを経済的自由と個人的自由の両方を支持するものとして定義し、彼によれば、個人的自由のみを擁護する左翼-リベラルと、経済的自由のみを擁護する右翼-保守とを対比させることにより図式化した。 ノーラン・チャートには、右翼と左翼という伝統的な政治分類とは異なり、経済的自由を表すX軸と個人的自由を表すY軸とがある。ノーランは左下の領域に位置する政治哲学をポピュリズムと呼んだが、多くの人々は代わりに権威主義あるいは全体主義と呼んだ。

●Libertarianism@Japan
http://kyuuri.blogtribe.org/
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