“読書”と“資格取得(今は司法書士)”と“音楽鑑賞”のメモ

 

Planned Happenstance 〈偶然〉=〈必然〉

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Posted on 18:03:47 «Edit»
2008
01/27
Sun

フーコー―主体という夢:生の権力 (入門・哲学者シリーズ 2) (入門・哲学者シリーズ 2) (入門・哲学者シリーズ 2)
フーコー―主体という夢:生の権力 (入門・哲学者シリーズ 2) (入門・哲学者シリーズ 2) (入門・哲学者シリーズ 2)貫 成人

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starsいくら本が高くてもフーコーは読まねばならないことが解る
starsもし「哲学」の本を一生に一冊しか読まないつもりならフーコーを読むのがいい

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 これはよくまとまっている。何より良いのは、この本を読んだことでフーコーをじっくり読んでみたいと思えたことだ
 今まで思想的関心において彼の周辺をうろついてはいたし、何度も著作を手にしたが、感覚的に遠い距離を感じていた。興味があるのは『知の考古学』辺りの仕事で、権力論にはまるで興味がなかった。社会人になってしばらくたった今、フーコーの“権力論”こそ面白い!

 ヨーロッパにおいて民主的な国家観をはじめて完成したのは、イギリスの哲学者ジョン・ロック(1632ー1704)とされているが、ロックは各自がもともと所有権をもち、他人に危害を加えないかぎりで自由に振る舞える存在、すなわち自由な「人格」であると考えていた。
 ・・・(省略)・・・人間は、自由に選択して行為し、それゆえだれでも「自分だけが自分の主人」であり、他の誰かが自分の主人であることはありえない、というわけである。
 だが、それはとんでもない錯覚だ、とフーコーは言ったのである。自由な主体と言われていたものは、じつは近代における学校教育や工場その他で機能してた「生の権力」の規律化のメカニズムによって構築された存在にすぎない。主体といわれていたものは、ひとびとを規格化する力に従う存在である。
・・・(省略)・・・
 「主体」は、学校教育、軍隊、企業などにおいて、規範として外部から与えられたものを内面化するなかで構築されるが、その際、「各人は自由な主体であり、諸技能を身につけることによって一人前になる」といったエトスも同時に内面化される。その結果、規格品としての主体が大量生産されるのである。


 わたしもかつて若者らしく、純粋なる自由を欲し、独自の一個人であることを欲し、青春期的な哲学的苦しみにあえいだものだ。結局そこに、何かの回答を得たわけではない。疑問符を付したまま、今に至る。
 その点、本書を読んですっきりした。「自由を欲する」「オンリーワンのわたし」という発想自体、“わたし”の一機能であり、それは規格化されたものなのだ。そのことを問題化することが、規格化された“わたし”の存立を強化していたのだ。フーコー的にはそういうことなのかな。腑に落ちた。

 もう一つ気になったことがある。この種の議論、「権力に抵抗することが、当該権力関係を逆に強化する」式のものの言い方は、ポスト・モダニズムを匂わせる時事批評家が“ひねり”を演出する時の常套手段だが、これは、フーコーが元ネタだったわけか。

 福祉国家を映画『マトリックス』になぞらえているのは、痛烈で且つわかりやすかった。

 福祉国家とは、国家による国民の健康と生命を保証する仕組みとして、各個人にとってはまことにありがたいシステムであるかのように語られる。だがそれは、それぞれ独立して生きているとされる各個人が、福祉国家というシステムなしには、そもそもその生存さえできなくなる仕組みなのである。このようなシステムにおいて、各個人、各市民は「自由な主体」であると喧伝することは矛盾でしかない。まして、このような状況で、国家による保護や支援を訴えることが正当な要求だと信じ、そのように行動する人は、国家機械がひとびとに信じ込ませようとしている夢を強化するだけの存在、国家機械にとってはまことに都合の良い存在なのである。


 最初この部分は納得していたが、引用文を入力しながら何かおかしく感じた。
 主体が権力関係から逃れ得ない存在であってみれば、その権力に対し庇護を求める行動を自然なものであり、むしろ「自由」をもとめて自主独立を企てることの方が矛盾と言うべきだろう。そもそも「自由」があり得ないという話なのだから。
 また「国家機械にとってはまことに都合の良い存在」とは、国家に対し過大な福祉への要求をする主体ではなく、自らの窮境を「自己責任」として処理し、完結してくれる主体の方だろう。
 上記引用部分は、本書著者の意見だ。フーコーが福祉国家についてこのように考えているかどうかは本書を読むかぎりではわからない。
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テーマ: 哲学/倫理学

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Posted on 10:30:44 «Edit»
2008
01/20
Sun

 私の人生や考え方に大きく影響を与えた哲学書の一冊がこれ↓。分かりやすいせいからか、ニーチェ自身の著作より、あるいは、その後のドゥルーズ自身の思想展開よりも、この本がずっと好きだ。

ニーチェと哲学 新装版
ニーチェと哲学 新装版ジル・ドゥルーズ 足立 和浩

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starsニーチェ関連の最重要書籍
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 ドゥルーズのニーチェ解釈が現在のそれにおいてどのように位置づけられるかはしらないけど、今回読んだ哲学者シリーズのニーチェ本とドゥルーズの『ニーチェと哲学』は、同様の線に沿っていると思う(特に「力への意志」についてなど)。

ニーチェ―すべてを思い切るために:力への意志 (入門・哲学者シリーズ 1)
ニーチェ―すべてを思い切るために:力への意志 (入門・哲学者シリーズ 1) (入門・哲学者シリーズ 1) (入門・哲学者シリーズ 1)貫 成人

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 改めてニーチェのニヒリズムの“力強さ”に触れることができたのは大きな収穫だ。

 ニヒリズムを、時間軸にそって展開したものが「永遠回帰」である。それは、人生の意味ばかりではなく、日々の活動の意味や感動などの悦楽すらも奪う怖ろしいヴィジョンであった(第二章)。
 すべての差異を無化し、別次元の秩序に光を当てる「大いなる正午」において永遠回帰思想を呑み込んだとき、その存在は人間という類を超えた存在、「超人」となる(第三章)。
 そのとき見えてくるのが〈力への意志〉であった。主体なき力がおのれを最大化しようとして相互に拮抗し、相克するなかでさまざまな形が生まれる(第四章)。その一瞬の眺望をあたかも永遠に存続するものであるかのように固定するのが〈眺望固定病〉である。「善悪」をはじめとするさまざまな価値、あるいは「自我」などの実体はすべてこの〈眺望固定病〉の産物にすぎない(第五章)。こうして、ニヒリズム論が否定した〈価値〉や〈実体〉が生成するメカニズムが明らかになり、全体の円環は閉じることになる。

テーマ: 哲学/倫理学

ジャンル: 学問・文化・芸術

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Posted on 21:55:22 «Edit»
2007
12/09
Sun

Category:読書〔人文科学〕

法という現象―実定法の社会学的解明 土方 透 


法という現象―実定法の社会学的解明 (叢書・現代社会のフロンティア 8)
法という現象―実定法の社会学的解明 (叢書・現代社会のフロンティア 8)土方 透


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 私は法律を勉強し始めた初心者。試験としての学習だが、「なんで人はこの文章(法令)の言うことを聞かなきゃならないんだ」などと、根本的な疑問にふと我に返ることがしばしばある。何とも言い難いが、常に法律に対峙したときに変な違和感を感じている。
 このモヤモヤを晴らす助けになるのではと本書を手にとった。上記の意味でまず目につけたのは「第II章 妥当性」だ。

 法は法的手続によって法的に制定される。そうした法は、本来「法」以上のいかなる価値をも持ちえない。その内容と価値は、法的手続によって支えられた一種の「決めごと」である。既存の法の妥当性(の不足)を理由に(法の上部ないし外側から)法の変更をもくろむ「なにもの」か──自然、理性、合理的判断、利益、民意、歴史の発展法則、民族の目標、国際情勢等々なんであれ──は、既存の法に対してあらたなる「法」として働くこととなる。つまり、このあらたなる法は、みずからが「決めごと」以上の「決めごと」として働くことを当初から容認・予定している。したがって、それは「決めごと」たろうとする法を超えた法である。ただし法以上にはなれない。なぜなら、法にとどまらなければ、法として機能しないからである。要するに、「法の支配」をも支配する法を(法を超えていながら、しかし法として)作り出すようなものである。これは矛盾である。


 ここが、本書の中で最も共感した部分である。しかし、最後の「これは矛盾である」が引っかかる。
 果たして、実定法としての法が「みずからが『決めごと』以上の『決めごと』として働くことを当初から容認・予定」せずに存在したことがあったのだろうか。「法の変更をもくろむ『なにもの』か」との戦いがない〈接続〉というものがあるのだろうか。私の感覚では、制定法だろうと慣習法だろうと、それが法として立ち現れる時点で常に何か邪悪なものが仕込まれている気がしてならない。
 私が、ニーチェに始まる権力論(フーコーのような)やブルデューの社会学的あばきが好きなのは、この矛盾をこそ前提にしているからである。それともか、本書は法の「別の有り様」を描こうとしているのか?
 もう一つ引っかかるところがあった。「法的な把握・記述は、社会をより先鋭かつ詳細に描写しうる。この意味で部分の集合は全体より大きい」というとき、「法的な把握・記述」は誰がするのか。法自体ではあるまい。ものも食う、排便もする法律学者や弁護士の輩だろう。「部分の集合」が「全体より大き」くなってしまうのは、法律学者や弁護士を社会の外部に置き特権化しているからなのではないだろうか。もっとも〈法自体〉というものがあるのなら、話は別だが。ブルデューだったら、この辺りの対立軸を〈ハビトゥス〉だったかでやり過ごすんだろうな。懐かしい。

 以上は、批判というか、民法と不動産登記法しか手につけていない、法律も社会学も素人の私が、一部を読みかじって、学生時代の思い出と共に、自らの学問的〈好きずき〉を語ってみただけのもの。本書がルーマンとかいう人のシステム論の発展的試みなのであろうこともわかるし、また、その理論的前提についてとやかく言うつもりもない。
 むしろ、本書には全体に渡って、〈自己言及〉の無自覚に埋没されまいとする、ある種緊張感がみなぎっていて、語り口もクリア。社会学というか哲学的に興味深く、とても好感が持てる。
 法律(試験)勉強において、私の中ではちょっとしたカンフル剤になりそう。哲学的「モヤモヤ」に襲われたときの一つの対抗手段として、もしくは一つの強力な〈実用書〉として利用していきたい。

テーマ: 哲学/倫理学

ジャンル: 学問・文化・芸術

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 こんにちは

いつも楽しく見させてもらってます。
最近、会社のセキュリティが厳しくて、閲覧はOKだけど書き込みは出来ないんだ。。気になる記事があるとコメントしたいんだけど、そうゆうわけで出来ない。今日は某所からの投稿。

さて、勉強のほうは進んでいますか?
僕は昨日、たまたま「カバチタレ」を読んで、あらためて法律屋ってすごいなーと思いました。前に読んだのは5~6年前かな。。まさか身近な人が法の世界に行くとは思ってなかったしね。まぁ、そうゆう世界に挑戦できるってことを、かなり羨ましく思っているところです。なにはともあれ、頑張って下さい!! 君なら出来るよな気がするし。。 絶対合格だ!!!! じゃ。

  by chai

 まさにシンクロニシティ!

 「明日久しぶりにchaiにmixiかなんかで連絡とろう」と昨日思っていたところだよ。奇遇だ。

 それはそうと、この本の著者、覚えはないかい? chaiも会ったことのある人だよ。
 翻訳本はいっぱい出してたけど、とうとう自分の本を出したんだ!と思って、懐かしさと共に記念として感想を書いたんだ。
 「法」への社会学的アプローチに興味が行って(試験にはまったく関係がないけどね)、検索かけてたら偶然発見した。最近出版されたばかり。抽象的だけど語り口が明晰で簡潔。議論の根底に著者自身の個人的経験や思いも込められていて、いい本だと思う。

  by 管理人

Comment-WRITES

Posted on 11:15:11 «Edit»
2007
09/02
Sun

Category:読書〔人文科学〕

生と権力の哲学 檜垣 立哉 


生と権力の哲学 (ちくま新書)
生と権力の哲学 (ちくま新書)檜垣 立哉


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 「日本の武装/非武装について思うこと」でも書いたが、私は社会的な判断を下すうえで「国」を単位に考えることに違和感を感じている。国民国家に対し、本書で紹介するネグリは「帝国」という概念を持ち出している。ネグリにおいて「帝国」は「国民国家として生みだされてきた近代国家の枠組みを超えた、超-国境的なシステム」として描かれる。

 帝国主義の時代においていは、戦争とは国家間のぶつかりあいであり、その合従連衡によって果たされる世界戦として展開されるものであった。だが「帝国」において、世界がハイブリッドなシステムとして結びつけられた現場では、主要な戦争の形態とは内戦とテロになる。それは、国家対国家の戦争というかたちをとらず、むしろひとつのシステムのなかでの、主導権争いになるだろう。あるいはシステムのなかでの少数者による、システムのゲリラ的な破壊という様相をとるだろう。

 戦争は、「国家対国家の戦争」ではなく、「システムのなかでの少数者による、システムのゲリラ的な破壊という様相をとる」のだ。
 さらに、ネグリは右翼的な「国家」のみならず、左翼的なエリート主義も解体する。そればかりか「個」をも。

 「帝国」が見据えるのは、国民国家が崩壊し、あらゆるナショナリティーやそれを軸にうごめく情念が消滅し、すべての個的なアイデンティティーの主張が消え去っていく、雑多な混合体としての社会の現勢化なのである。それは、民族や国民国家にもとづく伝統的なブルジョワ共同体がすでに維持できないことを肯定し、社会が機械的技術に浸透され、そのなかで新たなシステムが現出することを評価する。だからそれは、伝統的保守であることからもっとも離れた政治的スタンスであるだろう。
 しかし、同時にそれは、体制的な左翼の言説も根底的に拒絶する。「正義」やローカリティ、はたまたマイナーなアイデンティティを自己の根拠としてもちだし、「平等」と「公正」を上からの統制によって推進するエリート主義的な左翼の姿は、近代的権力の最後のあがきにほかならない。マルチチュードとは、そもそもが統制不可能な民衆である。それは、いかなる進歩的政党もメディア的媒介者も、自己の「代表」として想定することはない。
 なんだかイメージ的に、アニメ『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG』において登場する架空のテロリスト「個別の11人」の話を思い出すな。

テーマ: これでいいのか日本

ジャンル: 政治・経済

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Posted on 13:41:42 «Edit»
2007
05/27
Sun

Category:読書〔人文科学〕

夜と霧 ヴィクトール・E・フランクル 


 ずっと昔に一度読んだ本。最近読んでる本でしばしばこの本の引用が見られたので、久々に入手した。新版の本書は昔のとちょっと変わってる気もする。

夜と霧 新版
夜と霧 新版ヴィクトール・E・フランクル 池田 香代子

おすすめ平均
starsもっと早く読めばよかった・・・
stars戦争をしたい日本人のために
stars苦しみの中から生まれた希望
stars生きる意味
stars体験者の「内側から見た」強制収容所

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 いたるところで引用されているこの↓部分は、いつもいつも深く考えさせられる。「生きる意味」に対する、現実に絶望的で極限的な状況を体験した哲学者的心理学者であるフランクルの答えだ。

 ここで必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度方向転換することだ。わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひとすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。哲学用語を使えば、コペルニクス的転回が必要なのであり、もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。わたしたちはその問いに答えを迫られている。考えこんだり言辞を弄することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。


 前の訳でも「義務」なんていう言葉を使ってたかな? それはともかくとして。
 「生きる意味は何?」と問いかける私たちに、フランクルは「もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ」ろと言ってる! そうではなく、私たちそれぞれの日々の一瞬一瞬の「行動」と「適切な態度」が“答えになる”なのだ。そして、私たちには「生きることの問いに正しく答える義務」があるという。この“義務”を引き受けるその人が「生きる意味」となる! ここには確かに、問い方の「百八十度方向転換」がある。
 また、「子は親の背中を見て育つ」という言葉がある。原意は定かじゃないが、これは品行レベルにとどまる話ではないと思う。「考えこんだり言辞を弄することによってでは」なく、親は自分自身に対してのみならず、子どもに対し自分自身の“生き方”をもって「生きる意味」を示す義務があるのかもしれない。「生きる意味」は言葉で説明する必要もないし、もともと説明できないものなのだ。ニヒリストな私も、いつかそういう義務を引き受けるときが来るだろう。

 本書のような体験はそれ自体トラウマ的であるが、生き延びた人にとって大事なのは「その後」だ。彼らの体験を心から理解できる人はいない。「不満と失意」という困難を乗り越えなければならない。

 5年や10年に一度は読み返していきたい名著だ。

テーマ: 壊れそうな心

ジャンル: 心と身体

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Posted on 22:52:33 «Edit»
2007
05/04
Fri

Category:読書〔人文科学〕

動物農場 ジョージ・オーウェル 


 政治的な「右」「左」の対立項に私はなじめない。『動物病院』の皮肉、そしてオーウェルの憤りには共感するものがある。以下「解説」から:

 オーウェルは・・・(省略)・・・共産主義を烈しく忌み嫌うようになった。これまで右翼的暴力に対して反発を感じていたのだが、左翼的暴力に対しても強い反発を感ずるようになった。彼には、共産主義は社会主義でもなんでもなく、社会主義でもなんでもなく、社会主義の仮面をかぶったファシズムである、と感じられたのだった。・・・(省略)・・・特に彼に衝撃を与えたのは、・・・(省略)・・・右であれ左であれ全体主義国家においては、やりようによれば、真実がどんなにゆがめられ、かくされ、すりかえられるものかを知ったことだった。


 右だからどう、左だからどう、ではない。ファシズムだとか全体主義国家が問題なのか?!

動物農場
動物農場ジョージ・オーウェル 高畠 文夫 George Orwell

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starsイギリスでは 教科書に載っているくらい有名で、暗誦させられる事もあると聞く。
stars共産主義の悲しい歴史
stars我等の物語
stars史実に仮託しない読み
stars『動物農場』とロシア現代史

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 私が『動物病院』を読みながら常に思い浮かべていたのは、企業における経営者と労働者(もしくは労働組合)の関係性だ。とりあえず、作品の背景や歴史的意味合い、実際の皮肉の対象が何であるかはどうでもよい。「荘園農場」の持ち主の「ジョーンズ氏」が経営者、動物たちが労働者、という卑近な図式に当てはめたのだ。「わかるわかる、そうだろうね」と面白く読めた。
 「上の人間が馬鹿でね」的なことを言い、さも自分が会社を経営すれば会社も仕事もうまくいくのに、みたいな愚痴を言う人間がよくいる。それとか、ワイドショーなんかでやってる「偉い人」「責任者」「目立つ人」バッシングも同様だ。コメンテーターと称する料理評論家とか元スポーツ選手だとかが、政治家批判をやったりする。「なんでこんな簡単なこともわからないの? できないの?」なんて言って。なんだかいつも腑に落ちない。
 本書の中で、動物を使う「非生産的」な人間と、食料を生み出し直接の労働をする「生産的」な動物がいた。両者は決定的に違っていた。しかし、クーデターを起こした動物たちのうち“管理”する側に立った動物は「人間」になった。動物だから良い、人間だから悪い、ではなかったのだ。日々繰り広げられる「現場を知っている俺たちは利口、上の管理側の人間は馬鹿」式の庶民向けの論理をまともに受けて、実践したとしたら・・・の結末を見るようだった。 
 衆愚政治にも独裁政治にも、社会主義にも資本主義にも、皮肉な作品にとれる。いろんな政治的対立軸を突き崩し、喝破してくれたような爽快さがある。気持ちがいい。

テーマ: 文学・小説

ジャンル: 小説・文学

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Posted on 15:51:21 «Edit»
2007
02/12
Mon

Category:読書〔人文科学〕

生き延びるためのラカン 


 本書はWeb上の連載を基にしている。私はそれを読んでいた。Webでしかも無料で閲覧できるものとしては珍しくクオリティが高く、また、ためになるものとして驚いていた。それがとうとう本になったのだ。
 「日本一わかりやすいラカン入門をめざそうと思う」という著者の目標は達成されていると思う。“生き延びるため”というタイトルもいい。生死が問いの射程にない思想なんて存在意味がないから。実際、“生き延びるため”にラカンを使う、そんな力と視点をもらえそう。

生き延びるためのラカン
生き延びるためのラカン斎藤 環

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starsすいません
stars切り札登場
starsラカン超入門
starsラカンの入門書の入門書の入門書
starsしっかりしてくれ、斎藤環よ!

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 ラカンにはそんなに興味はなかったが、ジジェクが好きな私は何かと間接的にラカン精神分析の思想には触れている。ジジェクの独特の言葉、言葉の使い方の多くがラカン由来のものであることは感づいていたが、この本を読んでそれがよりハッキリした。
 この辺りは基本的な話だろうけど、ちょっと感動した。すっきりした説明だ。

・・・子どもはペニスの象徴(=ファルス)を作り出すことで、母親=世界におけるペニスの欠損を補おうとする。これはしかし、ペニスの実在性をあきらめて、その模造品で満足しようという、大きな方向転換を意味している。だから、象徴を獲得するということは、存在そのものの所有はあきらめる、ということと同じことを意味しているんだ。
 このあきらめのことを「去勢」と呼ぶ。そう、ペニスをとっちゃうことだね。エディプス期における「去勢」こそが、人間が人間になるための、最初の重要な通過点なんだ。ここをくぐり抜けることで、子どもははじめて言語を語る存在、すなわち「人間」になるんだから。


 こういうの読むと、より言葉巧みになるには、もしくは、より大人になるには、より去勢されればいいのかな、なんていう技術論を想像してしまう。しかし、精神分析は後付けの説明体系でしかないことを著者も言っていた。私の手前勝手な思惑に反して、去勢の過程も「常にすでに」そうなってしまっているものなのだろうから、この過程を意図的にコントロールすることはできないのかもしれない。“Planned Happenstance”ならぬ、“Planned Kyosei”っていうわけにはいかないかな。

 それにしても、この「去勢」は私にとって魅力的だ。私を魅了するジジェクの軽妙でトリッキーな語り口は、「対象a」や「去勢」を巡る事件をドラマティックに演出する。そしてそもそも、「象徴界」「想像界」「現実界」は位相関係にあるという。ということは、常に私たちは去勢の前段階にあり、且つ後段階にあるということになるはずで、私たちはいつもこのドラマティックな物語の主人公であるわけだ。楽しい。なんか違うかな?
 ところで、今出てきた“対象a”の説明はこんな。わかりやすし、「今」的。

・・・「自分だけは特別」という幻想に浸っているとき、人はすでに対象aの作用のもとにある。ある意味、現代くらい「自分は特別」幻想が強力な時代はなかったかもしれないね。じゃあ、ここでは何が「対象a」の位置にあるのか? それはおそらく「本当の自分」ってやつだろう。「『本当の自分』を探すことができる」という可能性が、「自分探し」やら「癒し」やらへの欲望や、「自分は特別」幻想を生み出しているんじゃないかな。こんなふうに対象aは、欲望の原因でもあると同時に、いろんな幻想を生み出す力もあわせ持っている。


 とにかく本書は、わかりやすく、共感を持って読める。何だかまたジジェクが読みたくなってきた。『斜めから見る』とか『快楽の転移』とか。ラカン自身は難し過ぎるし、どうも敬遠してしまうけど、彼の“子ども”たちの本は刺激的で、面白いな。

テーマ: 壊れそうな心

ジャンル: 心と身体

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Posted on 18:25:11 «Edit»
2007
02/11
Sun

Category:読書〔人文科学〕

水戸イデオロギー―徳川後期の言説・改革・叛乱 


 この本を図書館で発見したのが、最近の私の「水戸学」への興味の始まり。外人がこんな本を書いてるのが面白い。

水戸イデオロギー―徳川後期の言説・改革・叛乱
水戸イデオロギー―徳川後期の言説・改革・叛乱J.ヴィクター コシュマン J.Victor Koschmann 田尻 祐一郎


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 行動それ自体を“テクスト”として解釈するポール・リクールの解釈理論を使い、水戸学を“水戸イデオロギー”として分析している。

明治維新を“引き起こした”、もしくは維新の志士たちに“影響を与えた”というよりも、水戸は、他の人々によって読み返されるべきテクストと、演じ直されるだけの価値のある行動とを提供したのである。


 さまざまな解釈を許す“開かれた”テクストとして、水戸学をとらえるのは「はまる」かもしれない。それは、著者がしばしば引用し、その視点を乗り越えようとする遠山茂樹の言葉から、より納得できる。

遠山茂樹は、急進的な志士たちが、著者たちが意味していたところを越えて、水戸のテクストの含意を遥かにラディカルに「読み変えていった」のだと論じている。

藤田や会沢の著書をよんで反幕の行動に出た志士は全国にわたって少なくはない。しかしそれは水戸学自体の性格によるというよりも、読み手の側の問題であり、彼らをとりまく情勢の力なのである。この学問は、武士たるものの責任の自覚を、上から下に求め、また自己反省をすすめたものであった。それが本来の内容である。ところが幕政批判ないし反幕の思想として読まれた場合は、将軍または大名がはたすべき責任(攘夷と尊王)をはたしていないのではないかと読みかえることでおこなわれたのであり、下から上への責任の追及なのである。


 要は水戸学は、志士たちにいいように、自分の運動に都合のいいように利用されたわけか。

 その他理論的には、フーコーとかアルチュセールとか、構造主義系の人たちがいっぱい援用されている。

テーマ: 歴史

ジャンル: 学問・文化・芸術

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Posted on 14:55:03 «Edit»
2007
02/11
Sun

Category:読書〔人文科学〕

水戸学と明治維新 


 最近「水戸学」に興味がある。

・・・水戸学を代表するのは東湖の思想である。・・・なによりもこのことを象徴的に示しているのが、水戸の偕楽園の隣にある、徳川光圀と斉昭を祭る常盤神社の境内にある東湖神社である。祭神は藤田彪尊、東湖である。ここにほかの水戸学者を祭った神社はない。このことは、本来水戸学者のなかで、もっとも高く評価されていたのは東湖であったことを、なによりも雄弁に物語っているのである。


 今年の初詣は常盤神社だった。東湖神社もチラっとのぞいたと思う。
 まずは水戸学の歴史的意義や影響度を知りたいと思って本書を手にした。

水戸学と明治維新
水戸学と明治維新吉田 俊純

おすすめ平均
stars我々は水戸学を知らない
stars思想が力を持つこと

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 良くも悪くも「昭和のファシズム期には、水戸学は異常なほどに顕彰された」と言う。「戦争中、水戸学は狂信的に称賛された。それはおよそ理性的とか、学問的とかいえるものではなかった。このために戦後、水戸学は嫌悪された」といういきさつが今日にいたるまではあったようだ。
 本書は主に、水戸学が明治維新の思想的推進力であったことを論じている。

テーマ: 歴史

ジャンル: 学問・文化・芸術

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Posted on 10:42:01 «Edit»
2007
02/11
Sun

Category:読書〔人文科学〕

徳川思想小史 ~後期水戸学の位置づけは 


 「水戸学」に興味があり一部読んでみた。

徳川思想小史
徳川思想小史源 了円

おすすめ平均
stars儒学はいかにしてその地位を失ったか

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 幕末の多くの思想のうちで志士たちに最も大きな影響を与えたのは後期水戸学。このうち藤田幽谷(1774-1826)、会沢正志斎(1782-1863)、藤田東湖(1806-55)が重要。それぞれの役割をこう評している。

藤田幽谷は後期水戸学を思想的に基礎づけた人、会沢は幽谷の思想をより包括的により体系的に表現し、後期水戸学の存在を世にしらせた祖述者、東湖はその思想を「回天詩史」や「常陸帯」のごとき熱情的な詩や文章に表現して、全国の青年武士たちを感奮させるとともに、斉昭の輔佐役として思想を政治的実践の場に移し、全国の志士たちのコミュニケーションの中枢的役割を果たした人というべきだろう。


 会沢正志斎の『新論』は志士たちのバイブル。東湖の思想が一番まとまって表現されているのは『弘道館記述義』。

テーマ: 幕末

ジャンル: 学問・文化・芸術

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Posted on 17:57:06 «Edit»
2007
01/28
Sun

Category:読書〔人文科学〕

「知」の欺瞞―ポストモダン思想における科学の濫用 


 最近読んだ本(『成功はどこからやってくるのか? 「成功法則」の取扱説明書』)で引用されていたので読んでみた。久しぶりの哲学系。
 本書の目標は「この分野(ポストモダニズム)では数学や物理学の概念や用語の濫用がくりかえされているというあまり知られていない事実に、より多くの人の目を向けることである。さらに、ポストモダンの著作にしばしば見られる、自然科学の内容または自然科学の哲学に関連したある種の思考の混乱についても議論する」とのこと。
 至極まっとうな話だと思う。私の好きな(好きだった)ドゥルーズも槍玉に上がっている。でもドゥルーズの場合、確信犯(故意犯)なのだと思う。ドゥルーズに限らず、大体のポストモダニストと呼ばれる人たちはそんなもんでしょ。まぁ、それが鼻につくとも言えるが。

「知」の欺瞞―ポストモダン思想における科学の濫用
「知」の欺瞞―ポストモダン思想における科学の濫用アラン・ソーカル ジャン・ブリクモン

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stars心理学徒にも有用
starsこの本の内容ではなく、この本の存在が面白い。
stars哲学を理解でいない物の”負”のバイブル
starsソーカルの限界と哲学の限界
stars読み進むにつれて心が躍る本

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 ドゥルーズはこんなこと言ってたな。

・・・テキストを読むということは、決していくつかのシニフィエを求めて博学を競う訓練でもなければ、また一つのシニフィイアンを求めてひたすらテキストに従う訓練でもない。そうではなくて、文学機械の生産的使用であり、欲望する諸機械の組立工程である。つまり、テキストからその革命的な能力を引きだし、分裂気質を養う訓練なのである。(『アンチ・オイディプス』市倉 宏祐 ジル ドゥルーズ フェリックス ガタリ4309240828より 133p.)


 これに対し著者は真面目にこう糾弾する。

3 科学は「テクスト」ではない。 自然科学というのは、人間科学ですぐに使うことのできるメタファーを集めた倉庫ではない。科学者でない人たちは、科学の理論から、「不確定性」、「不連続性」、「カオス」、「非線形性」といった少数の言葉で要約でき、純粋に言葉だけを使って分析できるいくつかの一般的な「テーマ」を引き出してくる誘惑に駆られるかもしれない。しかし、科学の理論は小説とは違うのだ。科学の文脈では、これらの言葉は特別な意味をもっている。科学における言葉の意味は、同じ言葉の日常的な意味とは微妙に、しかし本質的に異なっており、複雑に絡み合った理論や実験を知ってはじめて理解することができる。こういった言葉をメタファーとしてだけ用いると、容易に無意味な結論を下すことになってしまう。


 相対性理論以降の「日常的な世界観を覆す」系の自然科学の成果には、しばしば哲学的な含意を考えずにはいられないものがある。自説の論を補強したり、科学的装いをまとうために、これをメタファーやアナロジーを通して使う誘惑には抗い難い。でも、別にいいじゃない?と思うんだけど。そんなのポストモダンの人たちに限らないし。。。
 なぜポストモダンを攻撃するのかについては、著者はいろいろな弁明を用意している。要は、ポストモダンにはさまざまな害悪があるからだそうだ。

 アメリカではポストモダニズムと政治的左派の一部の結びつきがはっきりしていたという。チョムスキーを引用した次の批判も面白い。

チョムスキーによれば、それほど遠くない過去には、

左派の知識人は生き生きとした労働者階級の文化に積極的に参加していた。文化的制度の階級的性格を軽減させるために、労働者の教育のプログラムに参加した者もいたし、一般読者のために数学や科学や他のテーマについてのベストセラーを書いたものもいた。驚くべきことに、今日の左派の知識人たちは、このような解放の道具を労働者たちから奪い取ろうとしている。そして、「啓蒙のプロジェクト」は死に絶えたのであり、われわれは科学と合理性という「幻想」を捨てなくてはならないと説く。これこそ、科学や合理性という武器を自らのためだけに専有することを望む権力を喜ばせる台詞である。


 これ読むと青木雄二を思い浮かべる。彼もポストモダニズムに対して何か言っていないのかな。同じようなこと言いそう。
 彼もまさしく「文化的制度の階級的性格」に対抗していた「左派の知識人」だし、「解放の道具を労働者」に提供するいわば「啓蒙のプロジェクト」を漫画や一般書籍の執筆を通して推進していたのだから。

■ポストモダン - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A2%E3%83%80%E3%83%B3

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2006
11/05
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これからだってそうなんだろう。

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テーマ: 歴史

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2006
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つまらない。

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2006
09/10
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信じるということ 


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starたとえば、電脳現象下における〈脱中心化した主体〉がなお主体的に何かを選択するというと

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ジジェク大好き。映画「マトリクス」を取り上げているところがポイント高い。ぱらぱらめくって、どこから読み始めても面白い。こんな哲学書ってなかなかない。

印象に残る文章はいっぱいある。たとえばこれ。

・・・自らに全ての〈罪〉を引き受け、自らの死を通じてそれを購うことによって、キリストは人類の救済のための道を開く──それでもその死によって、人々は直接には救われなくなり、救済の、過剰の除去の可能性を与えられるのだ。この違いは決定的だ。キリストはわれわれのために働くのではない。負債をちゃらにしてくれるのではない。単に「チャンスを与える」だけだ──彼はその死をもって、われわれの自由と責任を説くのである。すなわち彼は、われわれが自らを「信仰へのジャンプ」を通じて、すなわち「キリストにおいて生きる」ことを選ぶことによって、自らを救う可能性を開く「だけ」である──キリストにならって、われわれはキリストの、自由に〈生命〉の過剰を引き受ける身振りを反復するのであって、それを〈他者〉の何かの姿に投影する/転嫁するのではない(「だけ」をかっこで括ったのは、キルケゴールに明らかなように、自由の定義は可能性が現実よりも上だということだからである。自らを救うチャンスを与えることによって、キリストは直接にわれわれを救うとした場合よりも、無限に多くのことをしている)。


現実の救済を選ぶか、「可能性」の自由を選ぶか。好みの問題かな。今の私は「同情するなら金をくれ」だな。「現実の救済」の手間や費用をごまかすための、「チャンスを与える」とするまやかしの言葉が、世の中にはなんと多いこと。。。

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